0乗の行動学 サイレント イノベーション

結いの理念 give and give and take の行動学

 私は信州安曇野の風土で育った。
安曇野の精神的風土

 我が家の新年の事始めは、元日、加助神社(貞享義民社)に参拝し、裏地にある中萱(多田)嘉助のお墓に手を合わせることから始まります。一年も欠かすことなく40年以上も続いています。この間に生まれた息子も今は西郷さんのお膝元で弁護士をしています。西郷隆盛が鹿児島の人々の精神的風土を形づくったように、中萱嘉助も、また、安曇野の人々の生き方の中にしっかりと生きています。

 戦後、地元選出の植原悦二郎、増田甲子七、唐沢俊樹、唐沢俊二郎諸氏の代議士たちは、リーダーとしてのあり方を幼いころから貞享義民の生き様で身につけてきたと思います。みな大臣経験者で清貧の政治家ばかりです。この流れを汲むのが務台俊介代議士です。今、世の悪風を断ち切れるのは貞享義民の精神にあるかと思います。

私は信州安曇野の風土で育った。
安曇野の精神的風土


貞享義民 中萱嘉助
明治維新の自由民権運動の精神的支柱になり、近代国家の礎となった。

二斗五升!と松本城に向かって絶叫しながら磔、絶命。二斗五升(五公五民)の租税は、農民がぎりぎり耐えられる限界。 しかし、藩は飢饉の中で三斗五升を農民に強いた。これでは生きていけないと追訴したのが元大庄屋の中萱嘉助。松本城を一万の農民が取り囲んだと言われる。二斗五升!を一時は受けいられるも反故にされ、一家郎党28名磔獄門。江戸時代、矩をこえても人が人として生きる権利を毅然と求めた魂は、明治時代に陽の目を浴び、自由民権運動の精神的支柱になり、近代国家の礎となった。

貞享義民 中萱嘉助
明治維新の自由民権運動の精神的支柱になり、近代国家の礎となった。


自由民権運動 松沢求索

現在の政党や国会・新聞・民主教育などの基礎づくり。

彼の生涯は32年と短いものであったが、安曇野から東京へ、そして、八丈島時代を経て石川島の牢獄で病死するまでの活動は、自由な社会を建設するための努力に貫かれ、現在の政党や国会・新聞・民主教育などのまさに基礎づくりであった。拠り所は、父祖の地安曇野に生きた貞享義民 中萱嘉助の人が人として生きる魂に起因している。引き継ごう!現在に、そして、未来へ

自由民権運動 松沢求索
現在の政党や国会・新聞・民主教育などの基礎づくり。


きけわたつみのこえ
上原良司

自由の勝利は明白な事だと思います
明日は自由主義者が一人この世から去ってゆきます
唯願はくは愛する日本を偉大ならしめられんことを国民の方々にお願いするのみです

きけわたつみのこえ
上原良司


平和と自由 愛の鐘 きけわたつみのこえ 特攻隊員上原良司
Pray for Peace and Freedom from Azumino,Nagano,Japan

自由の勝利は明白な事だと思います
明日は自由主義者が一人この世から去ってゆきます
唯願はくは愛する日本を偉大ならしめられんことを国民の方々にお願いするのみです

平和と自由 愛の鐘 きけわたつみのこえ 特攻隊員上原良司


自由と平和の思い後世へ 池田 上原良司を偲ぶ会

 第二次世界大戦中「所感」を残し、特攻隊員として戦死した池田町出身の上原良司(享年22歳)を偲しのぶ集いが12日、町クラフトパーク「良司の碑の丘」および創造館で開かれた。「上原良司の灯ひを守る会」が主催。約80人が参加し、自由と平和を願った良司の思いを後世へとつないだ。守る会の師岡昭二会長(95)と甕聖章町長が「平和と自由愛の鐘」を打ち鳴らし、良司の愛唱歌「谷間の灯ともしび」を全員で合唱した。写真は、上原良司の灯ひを守る会 師岡昭二会長(2021/6/12)

自由と平和の思い後世へ 池田 上原良司を偲ぶ会 師岡昭二会長


堀金中学校 校歌
作詞 臼井吉見

新たなる時代の夜明け
おのずから湧き出ずるもの
八重潮のあふるるままに
古け雲いよいよ若やぐ
民族の力ゆたけし
われらの中学 堀金

堀金中学校 校歌
作詞 臼井吉見


私たちひとり一人が世界の中心だ!
天之御中主神

 天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)は、『古事記』の天地開闢の際に最初に現れた最高神で、「造化三神」の一柱です。天の中央に位置し、万物の根源とされる神であり、北極星の信仰とも結びつき、「妙見菩薩(みょうけんぼさつ)」としても知られています。すべての物事に神が宿る。お互いの関係を保ちながら、全体は一つに結ばれている。この哲理が日本人の心のよりどころ。

 「私たちひとり一人が世界の中心だ」という考え方は、各個人が自分自身の人生において中心的な存在であり、かけがえのない存在であるという哲学的な主張です。これは、自分以外には誰にも代替できない特別な存在として、自己を認識する重要性を説いています。

 この考え方の背景には、現代社会で多くの人が抱える「自分は他の多くの人々と変わらない」「自分がいなくても世の中は回っていく」といった「交換可能性」の悩みがあります。この悩みに対し、自己の独自性や重要性を再認識することで、より主体的に生きることを促すメッセージと言えます。 この哲学的な視点は、人によって異なる経験や価値観を持ち、それぞれが独自の視点で世界を捉えているという事実に基づいています。したがって、自分自身が「世界の中心」であると認識することは、他者との比較ではなく、自己の価値を肯定し、豊かな人間関係を築くための出発点となるでしょう。

私たちひとり一人が世界の中心だ!
天之御中主神

 「すべての物事に神が宿る」という考え方は、自然界のあらゆるものに魂や精霊が宿るというアニミズムという世界観で説明できます。これは神道にも通底する思想であり、人間以外の生物、山、川、木、石など、自然のあらゆるものに神々が宿ると信じられていました。また、神が細部に宿るという意味で「神は細部に宿る」という言葉もありますが、これは細部までこだわることの重要性を表す格言であり、直接的にすべての物事に神が宿るという思想を意味するものではありません。


文明が文化を創る

 「文明が文化を創る」という命題は、文明が技術や制度といった物質的・社会的な要素を発展させることで、その基盤の上に精神的・創造的な文化が生まれ、発展する、という関係性を指していると考えられます。文化は技術や制度といった文明の進歩に支えられ、人々の生活や価値観を豊かにし、文明はそれらの文化を包摂・発展させていく相互関係にあると言えるでしょう。

文明が文化を創る

 「文明が文化を創る」という命題は、文明(技術や制度などの物質的進歩)が文化(精神的な所産、価値観など)を形成する側面があることを示唆するものであり、その逆、あるいは文明が文化に影響を与え、文化の発展や普及を促進する関係性を示す言葉です。文化がまず存在し、その中から突出した技術や制度が文化の枠を超えて広がることで文明が形成され、ローカルな文化がグローバル化したものが文明である、という考え方もあります。


日本文明

 文明の衝突 日本文明には世界中の宗教を包括する力がある。
サミュエル・P・ハンティントン
中華文明、ヒンドゥー文明、イスラム文明、日本文明、東方正教会文明、西欧文明、ラテンアメリカ文明.

日本文明

 日本文明(にほんぶんめい)は、日本という島国に固有の、他とは異なる独自の文化や思想を持つ文明社会を指す用語です。国際政治学者のサミュエル・ハンチントンは、日本を独立した文明を持つ唯一の国と定義し、その独自性の高さから世界秩序を分析する上で日本文明を一つの独立した文明圏として位置づけました。その根源には、島国という地理的特性から生まれた独自の精神性や、他文化を柔軟に受け入れ発展させる包容力、そして日本語の特殊性などがあると考えられています。


文明の衝突
日本文明の証明 すべては一つの命につながっている

 「すべては一つの命につながっている」という考えは、生命の根源は一つであるという思想を表し、手塚治虫のメッセージや仏教の考え方などに見られます。これは、すべての生物は互いに深く関連し、自然界の一部としてつながっていることを示唆しており、すべてを一つの生命体として捉える視点から生まれます。

 安定したモノやことをバラバラに破壊し、解析することはできても、破壊したモノを統合・再生させる気高い思想や、技術はない。再生不能なモノが不安定に、秩序の保てない社会になっている。西洋文明の限界を如実に表しています。盲目に努力し、破滅の道を歩むだけです。一方、日本文明の特徴は、個の集合体が全体ではなく、全体が一つの個につながっている有機体である。この相待的なつながり方が、今、人類が求めている文明だと思う。

文明の衝突
日本文明の証明 すべてが一つの命につながっている


過去、現在、未来を一つに結ぶ
日本文明

 「過去、現在、未来を一つに結ぶ」とは、過去の経験や出来事が現在の自分を形作り、それが未来の自分を創造するという、時間の連続性を意識した生き方や考え方を指します。未来が確定しているわけではないことを前提に、現在の行動が過去の意味を肯定し、未来をより良くしていくという視点を持つことで、人生に新たな意味や目的を見出すことができます。

宇宙から原子に至るまですべてがお互いさまの関係で均衡を保ちながら一つの命で結ばれている。これは神の仕業だ!ひとつ一つの物や事に神が宿っているからだ!と考えた。結びの神。日本文明 和を以て貴しと為す。個の集合体が全体ではなく、個を支え合う全体が日本国家である。

過去、現在、未来を一つに結ぶ
日本文明


倫理観 - natural law
私たちは、自然を母胎として生かされています。

 私たちは、自然を母胎として生かされています。自然を敬い、慈しみ、愛することは、私たち生来の営みです。謙虚に自然に学び、自然に感謝し、自然を大切にしてきました。しかし、物質文明にならされた私たちは、欲望のままに、自然をものと捉え、神秘で有機的な生命体であることを忘れてしまいました。その反動が、私たちの肉体や精神にさまざまな形となって現われて来ています。

 私たちは、今こそ、自然に帰り、母なる懐に抱かれ、その鼓動を体で感じ、心を大いに遊す。 この大いなる自然と一体となり、失いかけた生命力、精神力を回復させ、かけがえのない自然と共に生きる。

 自然や宇宙との交感「感謝と祈り」は、もともと私たち日本人が行じてきた自然観や宇宙観であり、この悠久な大自然の大順に学んだ摂理を矜持し、倫理観 - natural lawとして日常生活に取り入れ、内なる自分の拠りどころにしてきました。

倫理観 - natural law
私たちは、自然を母胎として生かされています。


日本文明

宇宙や自然との対話が日本文化の起源

おたがいさま
おかげさま
ありがとう

日本文明
宇宙や自然との対話が日本文化の起源


山は登るものではなく、拝むもの

 「山は登るものではなく、拝むもの」という考え方は、自然への畏敬の念を抱く日本の山岳信仰に由来します。山を神が宿る場所、つまり神体として崇める信仰が根付いており、登頂すること自体が目的ではなく、遥か彼方から神の存在を仰ぎ見て祈り、敬うことが重んじられてきました。この信仰は、自然の恵みをもたらす一方で、災害をもたらす「神のような存在」としての山への畏敬の念から育まれたもので、ヨーロッパの自然を征服の対象とする思想とは対照的です。

山は登るものではなく、拝むもの


どんな数も0乗すると1になることをご存じですか?
0乗の生き方 すべては1に帰す。

 「0乗の生き方」とは、0乗が持つ「何乗してもその値が変わらない」「基準となる値」という意味合いを、人や物事、状況に当てはめた比喩的な表現と考えられます。具体的には、「揺るぎない信念を持つ」ことや「どんな環境にも適応する」こと、「何にも影響されない」状態を指す可能性があります。

 高校の担任が数学の先生。すべての数字は0乗すると1になる。みんなが自分を失わず、一つになれるこの0乗の生き方とは何か?問い続けて欲しい。50年前の恩師からの命題です。

どんな数も0乗すると1になることをご存じですか?
0乗の生き方


お願いだ!結びの神
穂高神社のお船祭り

 産霊神(むすびのかみ) 天地万物を産みなす霊妙な力をそなえた神。 産巣日神,産日神とも書く。

 男女が結ばれ、子供が授かる。古来からの願いです。女腹と男腹を神前で激しく交り合わせ子供の誕生をお願いする儀式。

お願いだ!結びの神
穂高神社のお船祭り


大和の心
おたがいさま おかげさま ありがとう

 私たちは、モノには「もったいない」、人には、「おたがいさま おかげさま ありがとう」と言う。

大和の心
おたがいさま おかげさま ありがとう


ありがとう 親の恩

 「ありがとう」という言葉に、何かお礼を言いたいのですね。日本語の「ありがとう」は、感謝の気持ちを伝える表現です。これは、古語の「有り難し(ありがたし)」が語源で、文字通り「有ることが難しい」、つまり「めったにない、貴重である」という意味から来ています。幼かった頃、母親が村の寄り合いに出て、そこで出された甘味を食べればいいものを!懐にしまい持ち帰ってくれた。この親ツバメを思うと切なく懐かしい。

ありがとう 親の恩


もったいない
この心がもの作りに魂を吹き込み、日本人を日本人らしくしている。

 「もったいない」とは、物や資源が本来持っている価値を十分に活かせていない状態を惜しむ気持ちや、そのことに不都合を感じる感情を表す言葉です。また、相手の才能や機会を無駄にしていること、あるいは身に余るほどの良い行為に対して恐縮する意味もあります。環境分野で提唱され、世界共通語となった「MOTTAINAI」としても知られています。

 日本人は、自然に生きる動物や植物が一つの生命(命)でつながっていることを本能的に分かっている。動物の供養塔を建てたり、木を切る時に神事をしたりと、人の都合で命をいただくものたちに有難く感謝する。生物的な命でなくても、長年お世話になった筆や針や人形などの魂に供養塔を建て感謝する。この心がもの作りに魂を吹き込み、日本人を日本人らしくしている。

もったいない
この心がもの作りに魂を吹き込み、日本人を日本人らしくしている。


いただきます
命をいただくものたちに

 「いただきます」とは、食事の前に述べる日本語の挨拶で、食材の命への感謝と、食事に携わった人々の労力への感謝の二つの意味が込められています。「頂く」という言葉の謙譲語から派生し、食材を提供してくれた人、そして食材そのものとなった動植物の命に敬意を表す、日本の大切な食文化の一部です。

 日本人は、自然に生きる動物や植物が一つの生命(命)でつながっていることを本能的に分かっている。クジラや動物の供養塔を建てたり、木を切る時に、神事をしたりと人の都合で命をいただくものたちに感謝する。生物的な命はなくても、長年お世話になった筆や針や人形などの魂に供養塔を建てて感謝する。この思いがもの作りに魂を込め、日本を日本らしくしている。

いただきます
命をいただくものたちに


故郷を郷愁で終わらせない
結い 安曇野ルネサンス

 農村社会には、お互いさまの暮らしがある。「結い」と言う。私が小学生の頃まで、田植えなどにその光景が見られた。農家総出で集落の田植えを順繰りに行い、辛い仕事も、労働の相殺で一気に済ませる。近所の見慣れた人々が、みんな仲良く働いている姿を見て、子供心にもうれしかった。この想いを郷愁で終わらせたくない。

故郷を郷愁で終わらせない
結い 安曇野ルネサンス


地域文化の矜持
都会人よ!笑わないでほしい。

 自然や社会はもともと非情なもの。これに抗しながら、肩を寄せ合い、分かち合い、地縁血縁を強めてきた。集落ごとに福祉・防災・防犯・環境・公民などボランタリーで運営する自治会がある。自治体と一線を画した直接民主主義の色合いが濃い地縁組織。ここには米を作り、神社を守り、弥栄を願う村人の祈りがある。Give and give and takeのおたがいさま、おかげさま、ありがとうの風土がある。都会人よ!笑わないでほしい。

地域文化の矜持
都会人よ!笑わないでほしい。


過去形の挨拶
返礼を求めず、自分から過去形で挨拶する

 安曇野には、朝の挨拶を過去形で言う習わしがある。見慣れない人に出会ったら、返礼を求めず、自分から過去形で挨拶する。そうすることで親しくなっていく。地域共同体はこうやって成り立っている。

過去形の挨拶
返礼を求めず、自分から過去形で挨拶する


Back to nature
人の中へ!自然の中へ

Back to nature
人の中へ!自然の中へ

 「Back to Nature 人の中へ!自然の中へ」は、現代社会で感じるストレスから離れ、自然環境に身を置くことで心身の癒しと健康を取り戻そうとする考え方や体験を指します。自然との触れ合いは、ストレスホルモンの軽減、血圧・心拍数の低下、不安やネガティブ思考の抑制に効果があり、リフレッシュ効果や「幸せホルモン」セロトニンの分泌促進にもつながると言われています。自然回帰の考え方は、本来自然に適した身体を持つ私たち人間が、現代社会のストレス環境に適応できず、自然環境がそのストレスを和らげるための重要な要素であるという認識に基づいています。


ここに嫁いで来て良かった!
安曇野

ここに嫁いで来て良かった!
安曇野


人間っていいな!
The whole world one household

人間っていいな!
The whole world one household
We are united.
the United People of the World
結いから始まる世界平和


大地讃頌
母なる大地を 頌えよ 褒めよ 頌えよ 土を

大地讃頌 作詞 大木惇夫、作曲 佐藤眞


 → 寄り合いから始まる地方創生 えいっこの会

 → 令和の自由民権運動!あなたは世界の中心だ!

 → 日本のインターネットをどうにかしたい



信州ふるさと通信
インターネット安曇野
azumino@cnet.ne.jp